代表 遠藤講和禄(一部紹介)
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伊達三日月活性化協議会
・名作 六曲一双「紅葉」図
多勢延太郎は、初代亀五郎の孫にあたり二代目亀五郎を襲名します。製糸業絶頂期、二代目亀五郎は画を愛し、横山大観、川端龍子、小杉放庵、鏑木清方といった当代きっての画家たちと交流を重ねました。
今では「大観作品の中でも最も絢爛豪華な屏風」として横山大観の代表作に数えられる六曲一双「紅葉」は、当時あまりの斬新さゆえに買い手がありませんでした。亀五郎はその絵を二万四千円で買い取ったのです。大観は大変感激して、お抱えの表具師と共に多勢家に飛んできました。昭和六年のことです。この屏風絵 はいま、島根県の足立美術館の看板作品として毎年秋に一般公開されています。
・大観が画いた菊五郎の舞台衣装
「昭和の初め頃、羽前宮内に多勢亀五郎という紀文大尽のような男が出た。」
すぐれた審美眼と持ち前の侠気で名を成した米沢出身の美術商木村東介は『不忍界隈』(大西書店1978)の中で、亀五郎(延太郎)の桁外れの御大尽ぶりを紹介しています。
亀五郎寵愛の名妓との宴席に、全盛期の人気役者六代目尾上菊五郎を侍らせ、さらにその場に横山大観を呼びつけて六代目の舞台衣装の絵を画かせ、歌舞伎座東の枡席を買い切ってなじみの芸者、大観一統、得意客を並べ、花道でその衣装姿の六代目に見得を切らせたというのです。(注5)
・妹背の松をモチーフにした「相生の松」
横山大観は大正から昭和にかけてしばしば漆山の金上製糸に長逗留しています。「相生の松」と題する作品がありますが、 その姿形からしてモチーフとなったのは宮内の妹背松と考えられます。(神奈川県箱根町 ポーラ美術館蔵)
編集;代表 進藤俊彦