伊達政宗ブログ

⓶青葉の笛

俊彦進藤

最近は「青葉の笛」といっても知る人は少ない。 しかし年輩の人であれば、「青葉の笛」といえば誰 もが知っている有名な笛である。明治の頃から「青葉の笛」という小学校唱歌が広く教えられていたからだ。
「一の谷の軍破れ 討たれし平家の公達哀れ 暁寒 き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛」という 歌詞である。 この歌が普及するにつれて、「青葉の笛」といえ ば源平の戦いで破れた平家の公達(敦盛)が所持し ていた、あの有名な笛と考えられるようになった。

「一の谷の軍破れ 討たれし平家の公達哀れ 暁寒 き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛」という 歌詞である。 この歌が普及するにつれて、「青葉の笛」といえ ば源平の戦いで破れた平家の公達(敦盛)が所持し ていた、あの有名な笛と考えられるようになった。

しかし、妙なことに「平家物語」には敦盛が所持 した笛は「青葉の笛」ではなく「小枝」と記されている。さらに、日本全国に「青葉の笛」とよばれる 笛が八管以上知られている。
源平合戦の最後の戦い、壇ノ浦の戦いで平家は滅んでしまうが、生き延びた平家一門の中の落人らしい人が上和田浅森の旧家先代二宮三郎右衛門氏の家を訪れしばらく宿を取らせてほしい旨を伝え、そこで二宮家では快くその願いを受け入れ親切にもてなした。

そして、数年が過ぎ二宮家との別れの当日にその落人がお礼として青葉の笛と水玉を贈った。
なお、現在遺されている笛は家宝の為、和田の郷社「高房神社」の本殿そのままの形に縮小した総けやき造りの社殿に所蔵されている。
以上
(東洋音楽学会会員:ペンネーム美濃晋平氏解説及び「和田の昔あれこれ」より抜粋

編集;代表 進藤俊彦

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