伊達政宗ブログ

④多勢丸中家

俊彦進藤

◎ヒストリー
・上杉謙信が越後で力をつけたのは青苧のおかげだった。
  ブランド化していた越後産青苧流通の支配
・直江兼続が越後の青苧生産のノウハウをそっくり置賜に移植した。
藩買上制→藩専売制。《青苧座は織豊政権による座の撤廃と上杉氏の移封によって力を失うことになる。そして皮肉なことに、越後の青苧が江戸時代の元禄年間に没落した最大の理由は、上杉氏の移封とともに青苧栽培技術が伝来された会津・米沢両藩産の青苧との競争に敗北した影響が大きかった。》(ウィキペディア「青苧座」)
・鷹山公「最終製品化して付加価値を」→米沢織
  安永5年1776、越後縮の織師を招く。青苧→麻絹交織→絹織物。
・そもそもこの地域は古代より養蚕の盛んな土地だった。
  米沢 白子神社(しろこじんじゃ)創建が和銅5年(712)。《神のお力によって桑の林に無数の蚕が生まれ、沢山の繭を作ったので、桑の林やあたりの菅(すげ)が雪に覆われたように真っ白になった。この不思議な出来事により、この地を白蚕村(しらこむら)と名付け、和銅5年(712)に社を造営して蚕菅社(こすげしゃ)と称し、白蚕明神(しらこみょうじん)とした。》(米織歴史散歩)
  漆山 岩倉様信仰。貞観年中(859〜877)慈覚大師による開山。天保13年(1822) 社殿再建。現在はない。《岩倉神社は笹子平、焼ノ平の西北部の岩山の頂上に奥の院がある。祭神は厳島弁才天黄金富主家命といわれ、慈覚大師の開基と伝えられている。・・・この神社は養蚕安全守護神として強い信仰を受け、信者は西置賜郡、米沢市など置賜一円は勿論のこと、遠く福島、喜多方、東京方面からも参詣があった。また火伏の神としての信仰、商売繁昌の神としての信仰も厚く、米沢市内の織物業者らがよくお詣りに来た。/この神社の祭礼は旧四月一日で、参詣者はお宴銭と鶏卵を持ってゆく。岩倉様には白蛇が棲んでいるといわれており、蛇は岩倉様のお姿であると信じられているから卵を持ってゆくのだという。/祭り当日は神主がいて養蚕安全のお札やねずみ除けのお札を受けることができる。お札には蛇の絵が描かれており、そのお札を蚕室か神棚に納めておく。》(奥村幸雄『置賜の民俗』7.8合併号 昭和51年)

編集;代表 進藤俊彦

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